男らしさ(おとこらしさ)とは、これが男性の特性(あるいは特徴・要件等)である、と特定の話者や特定の集団が想定している観念群のことである。「女らしさ」という観念に対置されるもの。
男らしさ - Wikipedia
評価:★★★★☆
「男」と「社会」は かなりズレた価値観になっているなんて言われてからずいぶんと経つ。俺はあまり男らしさにこだわったりしないが、だからといって積極的に女性的なものを好むというわけでもない。どちらかと言うと、好きなモノが男っぽい場合が多いという感じだ。なお、プリキュア見るのは男らしい行為に分類される。成人してから娘もいないのにプリキュアを見るのは男のほうが多いだろう。コアターゲットの画像を見ればすぐに分かる。こうなると一つ疑問が浮かぶ。「男らしさ」とはいつでもどこでも不変であり共通のものなのだろうか。
「男らしさ」の具体例を見てみると、似たものもある一方で、文化によって異なる点も多いということがよく分かる。例えば西欧諸国全般で言える内容は現代の日本人が聞いても違和感がないだろう。
- 主体性
- リーダーシップ
- 感情の表出を抑えること
しかし、東南アジアの多く、例としてフィリピンが挙げられているが、こちらの方は全く異なっている。
フィリピンでは、男は仕事をしないで日中からのんきに遊んで、妻に働かせて、妻からおこづかいを貰うものだとされ、それが男らしい、いかにも男だ、とされる。
俺も男らしくありたい。
そして「男らしさ」の意味が異なるのは日本に限定しても起こりうる。
- (労働者の家庭では)汗をかいて体を動かすこと
- (父親が学者の家庭などでは)学問や形而上の世界に意識が向いていて、もっぱら頭脳を使い、論理や理屈を優先する理知的な人柄で、あまり身体を動かさないこと、汗をかかないこと。
こうやって見ていくと、ジェンダー論がどうとか言う前に、そもそも「男らしさ」の意味が統一されていないのだから、そんなことを気にするほうが馬鹿らしく思える。みんな自分の好きなようにすればいいだけではないだろうか。ちなみに男女平等が進んだ結果、フランスではこうなっているらしい。
その後、ウーマンリブ運動が起き女性の側からの権利主張が多くなり女性が権利を獲得するにつれ、多くのフランス人男性たちは女性を特別扱いするのを馬鹿馬鹿しく感じるようになり、女性のためにドアをあける男性は激減し、現在ではほとんど存在しない。
本当かどうか知らないが、このような話が出る程度には平等化が進んだということか。
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