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「ルビコン川」★★★☆☆

ルビコーネの流路(青線)"LocationRubicon". Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

ルビコン川(ルビコンがわ、ラテン語: Rubicon)は、共和政ローマ末期にイタリア本土と属州ガリア・キサルピナの境界になっていた川。アリミヌム(現在のリミニ)の北、ラウェンナ(ラヴェンナ)との間でアドリア海に注いでいた。ユリウス・カエサルの故事にちなむ「ルビコン川を渡る」という成語は、カエサルの「賽は投げられた」という言葉とともに知られている。
ルビコン川 - Wikipedia

評価:★★★☆☆


カエサルが「賽は投げられた」と言ったせいで有名になった川。何も言わずに渡ったとしても、共和国への反逆となるので充分に歴史的瞬間と言えるのだが、今よりもマイナーな存在であったのは間違いない。カエサルほどの人物になると、口を開けば名言として残るし、訪れた場所は観光名所となる。その2つが重なったのだからこんな極東ですら使われる言葉となったわけだ。もっとも、「賽は投げられた」という言葉を知ってはいても、どのような状況で生まれた言葉か知らない人は多そうだが。

そんなルビコン川であるが、本物のルビコン川がどれかわからなくなっている。なにせ当時は国境として重要であっても、時代が過ぎるに連れただの小川でしかなくなっている。そのため17世紀ごろから「ウチの地元の川こそルビコン川だ」ということで論争が始まり、それが今でも続いている。それぞれの言い分もWikipediaには載っているが、正直なところウーゾ川の言い分は無理があるように思える。大きな橋があるから何かの記念だろうと言っても、敵地に進軍する際もその場で橋を築くのがローマである。単に川があったから程度の話ではないだろうか。

しかしこんな論争が起きてしまうのも、事が起こったのがあまりにも昔だからだ。なにせイエスすら生まれていない頃である。そんな頃に起きた出来事が記録として残っているだけでもすごい。なにせ我が国の歴史を見てみると、川どころか邪馬台国の場所すら揉めているのが現状だ。しかもそれはカエサルがルビコンをわたってから約300年後の話だというのに。そう考えるとルビコン川どころか、そもそもローマの国境の位置がおおよそでもわかっているだけでも驚嘆すべき事実だ。

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