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「大スキピオ」★★★★☆

Isis priest01 pushkin.jpg"Isis priest01 pushkin" by user:shakko - 投稿者自身による作品. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.

プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル(羅: Publius Cornelius Scipio Africanus Major, 紀元前236年 - 紀元前183年頃)は、共和政ローマ期の軍人、政治家。元老院議員。スキピオ・アフリカヌスと称され、妻の甥で義理の孫に当たるスキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)と区別して大スキピオとも呼ばれる。第二次ポエニ戦争後期に活躍し、カルタゴの将軍ハンニバルをザマの戦いで破り戦争を終結させた。グラックス兄弟の外祖父にあたる。
大スキピオ - Wikipedia

評価:★★★★☆


ハンニバルがカルタゴの対ローマ決戦兵器であるならば、この大スキピオはハンニバルを倒せるのはハンニバルだけとローマが繰り出した青魔道士。イケメン・天才・人気者と、三拍子そろったリアル俺TUEEE系主人公。なので『アド・アストラ』でもハンニバルを差し置いて実質こいつが主人公。しかしあまりにも対ハンニバルに特化したためか、第二次ポエニ戦争後はいまいちパッとしない。病弱でありながらもそれなりに長生きした結果、『ドリフターズ』ではジジイの一人という扱い。

大スキピオは無敵のハンニバルを打ち破った事によって有名となったが、そもそもハンニバルに軍を率いて相対できている時点で既にチート。まず先にハンニバルとの戦いに複数回参戦するも、きっちり生き残る。さらにハンニバルによって人材が減っていたとはいえ、法定年齢に達する前から公職に立候補、人気があるので当選。そしてわずか25歳でインペリウム(命令権)を授けられ、軍を率いる身に。この時の扱いはプロコンスル(前執政官)であるが、執政官は本来40歳以上でないとなれないというのにだ。その後は連戦連勝、生涯を通じて無敗。

よく世界が平和になった後、勇者はどうなるのかという話があるが、大スキピオの人生は正にこれだった。魔王ハンニバルを追い払い、カルタゴがただの経済だけの国となった後は、武力よりも政治がモノをいう世界。カルタゴ滅ぼせオジサンの策略により、ローマを自ら去って戻ることはなかった。正にハンニバルを打ち破るためだけの人生であったと言えよう。しかし、参考文献が『ローマ人の物語』のみというのはいかがなものか。

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